スジ浮きを狙うならこれで間違いない。ギリギリ最小限のベージュの前張りでローションを垂らすとどうなるか、ご想像の通り、時代劇の月代もかくやの一体感である。下着は総じて厚くあまり期待できないものの、その細さや食い込みは厚さを補って余りあるだろう。ボリュームも申し分ない。透けやチラ、日常との連続性を求めるなら別を当たる必要があるが、これも買っておいて損はない一本。
上質な熟れた身体は、それだけで美しいが、この作品の魅力はポーズにある。複数のセフレに教え込まれたのか、天性のものであるかは定かでないが、バック、フェラは言うに及ばず、正常位や騎乗位、アナル舐め時の姿勢までもが、女体の魅力を最大限に発揮する形態になっている。胸を反り上げ、尻を突き出す、その上で、音も激しいフェラ、アナル舐め、なめらかなグラインド腰振り騎乗、男はメロメロだろう。これはもう視覚の○○○だ!良い作品だけに、アナル舐めに修正が入るのは惜しまれる。
水咲あかねに似てるかと思ったが別人のようだ。変態性を押し出しているが、それにしては積極性に欠ける。腰の動きや吸い付き具合がイマイチで、行動も指示まかせ的なのだ。アナルプレイも全く物足りない。いきなり○○から、1対1という流れも盛り上がり的にどうかと思う。同メーカーで変態人妻を所望なら「素人人妻生中出し」シリーズを勧めておく。とりわけ「006 みさと」なら本物の変体した人妻の狂乱を味わえることを請け負う。
トラッドハウスには、ローアングルパンチラとマジックミラー更衣室の大きく二つのラインがあって、これは後者。下着を脱ぐ場面があるのでそこは流石に修正が入るが、トラッドハウス作品の見方が分かっている者はそんなことくらいでは諦めないだろう。画面が二分割になってても同じことだ。なにせ初期のトラッドハウス、虎の中の虎である。括目!女神は勇者に微笑む。魂の篭った良い作品です!逝き抜けましょう!
出演は1名、40分弱、同じセッティングで座り姿と立ち姿を延々微妙にずらした数台のカメラで撮ったものをくり返し見ているだけである。期待したM字下着の透けもイマイチで、上手くいってスジ浮き程度。一体全体、この作品に他に何か魅力があるというのだろうか(反語表現)
これは意欲作だろう、意欲作ですよ。人妻小夜子のこれまでの温泉旅行も、多かれ少なかれ二人の監督間を行き来する展開であったが、本作は本筋の旅行(=人妻湯恋旅行097)を唐木が撮り、同時に高橋が間男として唐木に気付かれないように小夜子にアプローチをかけたもので1作品まとめたものだ。小夜子の関係性は唐木との方が近いことは終始ニヤニヤの表情で分かろう、その姿を窃視しながら寝取りを仕掛ける高橋。これはドラマだ。2つの作品を順番に見ると(強く勧める)、NTRゲームでよくある1周目を別視点で2周目を見るという構図になる。1周目で隠された部分が、2周目で明らかになる、それも衝撃的な形で。ただ惜しいのは、2周目で覗き見ている関係上、その部分は答えはもう知っている形になる。普通は逆だ。また高橋は隠し撮りの都合上、本作には唐木視点のV使い回しが非常に多い。高橋とのからみが一度というのも寂しい、もう少し高橋視点は移動途中のトイレでからむ等工夫が欲しかった。とまれこうまれ、まさかあのアツアツ旅行の裏側でこんなことが行われていようとは、いやはやまったく、女ってのは恐ろしい。面白い。意欲を買ってオマケの星5!
まず、同社他作品からオナニーシーンを寄せ集めたアソートであるから、重複には注意。統一感もへったくれもないセレクトであるのだが、個々で見ればこれがどうして悪くない。その中でも見所は、「パンティにマン汁つくまで尻コキしてもらいました2」で最高の尻コキを見せてくれた星月まゆら。実に20分弱もの自撮りオナニーを見ることができるのが嬉しい。ただ、カメラとソファが若干遠く、魅力であるあえぎ声が聴き難い、音量MAXで徐々に高まる吐息までバッチリ味わうのが正解だ。服装や下着が「尻コキ~」と同一であることから同日収録の可能性が高いこともマニアならば押えておくべきだろう。
斬鉄剣にも切れないコンニャクがあるのと同様に、透視カメラでも最初から透けている透けパンティは透視できないらしい。登場の2名共に透けパンなのは良い、ただ、せっかくの透けも、コマ送りして、スジ浮きが僅かに感じられる程度という不甲斐無さ。これでは五右衛門ならずとも、「またつまらぬものを透かしてしまった」といいたくもなるだろう。
ここでいう「いやらしい」とは、エロいという意味を含まない。「意地悪な」「非道な」といった手法としての汚さを言いたいのである。一人目の白い花柄のパンティは、サンプルを見るに、ちょうどスジの部分が薄っすら透けているように見える。なるほど、これはトラッドハウス流格言にある「柄物に透けアリ」だなと意気揚々とポチッたが運の尽き。半ば確信めいた期待は見事に裏切られ、後悔は決して先には立たないのだと思い知らされることになる。果たしてその「透け」は、ちょうどその部分だけ色の薄い花ビラの柄がきていたのだった。隠喩でもなんでもなく、ね。
私の記憶が確かならば、「ワインと女優には旅をさせちゃあいけない」とは究極の女優担当の言であった。旅という非日常が、かえって鑑賞者を構えさせてしまい、偏在する日常のエロスを退けることによる質の低下を招くといった意味だが、こと至高の女優である小夜子には当てはまらないだろう。実に通算4度目の温泉旅行、5作品目にして最高傑作である。物語はいつもの構成、どこにでもいそうな人妻が、乱れる。ただそれだけなのになぜこんなに興奮するのか。鍵は前半のどうということのない会話シーンにある、この会話で何が分かるか、それは一言で言えば、小夜子の「愛嬌」である。女は愛嬌、それを小夜子は「持っている」のだ。怖くない、一緒にいて心地よさそうと男に感じさせる存在、それが乱れるから、しかも乳首舐め密着腰振りスパイダーまでも極めてくるから興奮するのである。腰の動きが脳髄を刺激して止まない。もし女神がこの世に現れる時があるとしたら、きっとこんな姿をしているのだろうな。なるほど、果たして小夜子はマグダラのマリアであったか。