この作品は、2つの大切なことを教えてくれた。ひとつは、尻コキはパンティを履いたままするのが大正解ということ。もうひとつは、シースルーパンティ(透けパン)のエロさである。ずっと、パンティはTバックが一番エロいと思っていて、フルバックの透けパンなんて年増のおばさんが履くもので、しかもなぜ魅力を無理にでも嵩上げしたいところでそんなたいして魅力のないものを履くのか、さっぱり理解できなかった。それが水色のレース透けパンのお姉さんの尻を見て、気付いたんだ。それまでの僕は、まったく○○だったってことを。しかし、そんな大人になった僕が、世界で一番エロい尻コキだと断言できるのは、チェックミニスカにパープルのフルバックの星月まゆら。このシーンだけ切り出して何度も使っている、この腰使いはヤミツキになる。超オススメの傑作である。
童顔の若菜亜衣にこんなにも眼鏡が合うのは、桃と生ハムが意外と合うのと似ている。学生ではなく、眼鏡店営業部女子社員という設定も良かったろう。派手な衣装ではなく、事務員の制服が眼鏡を惹きたたせている。ただし、それは前半のみであって、風呂以降の後半は眼鏡非着用である。ここは例え風呂であっても「撮影は続ける!メガネは外さない!!」と言って欲しかった。日常の当たり前から少しズレたところにフェチ心をくすぐるエロスが隠れているものだから。
禁断介護シリーズと一口にいっても色々パターンがあるが、これは嫁からのアプローチもの。波多野結衣の着衣と下着の変化を見ていると、爺の興奮を誘って襲わせるのかと思いきや、この作品は最後まで女性主導で、逆に爺が流されて馴染んでいくという珍しいパターンと言える。最後のエピローグが秀逸で、深く落とされた照明に、控えめに提示される淫靡な穴あきパンティが、それまで重ねた二人の時間を物語る。オススメできます。
前半は車内、後半は屋外での撮影。用意が整った屋内での撮影よりも、戸外での撮影をチョイスしているのは良い。ただし、ハンドブロワー1機で、デニムスカートやタイトスカートに挑む戦いは無謀だったろう。スカートを美しく捲り上げるには相当の風量が必要で、局所的なブロワーを使うくらいなら、ジャンプや飛び降りでもよかったのではないかと思う。しかしまぁ、男には、負けると分かっていても挑まねばならない戦いがあることも事実。その意気を買って、ちょっとオマケの星3つ。
尻毛といえば、の瀬奈涼。Tバックの下着からはみ出る毛のボリュームが、我々を滅菌管理された妄想世界から、このどうしようもない現実世界へ引き戻す。だからと言って悲観に暮れるばかりでもないぜ、だってその尻毛の持ち主は、こんなにも魅力的な美人なんだからさ。現実世界もまだまだ捨てたぁもんじゃない。ただ、瀬奈涼は下付きなのか、肝心のアナルまで一緒に隠れてしまっているものがほとんどなのがモッタイナイ。その点、緑スカートの時に出てくるマスクマンは「分かっている」ナイスガイだ。評価に値する。
前半は、ノーパン網タイツオナニー、中盤は、着衣のままのTバック尻プレイがこれでもかと堪能できる。後半の挿入は着衣ではあるが下着は脱ぐのが惜しいところ、やはりここはズラしハメとして欲しかった。全体的に微妙にバブル臭漂う衣装だが、これが小早川怜子の年頃と派手目な容姿とバッチリはまっている。中盤のゴージャスなフレアスカートスーツをヒラつかせながらのTバック尻コキは、絶妙のカメラワークと相まって我々の視線をガッチリ掴んで離さない。
メガネ原理主義の教祖たる大越はるか、もちろんその魅力はメガネの系譜だけで語れるものではない。容姿、性技、どれをとっても一級品である。内容的にはよくある温泉旅行ものかと思いきや、縛りや突き抜けた極エロ水着、変化のある体位など、見ていて飽きさせない。特筆すべきは、極エロ水着着用での攻め絡み。上気して恍惚とした表情で男を手玉に取る性技は見もので、均整の取れたスタイルの魅力を余すところ無く見せてくれるカメラワークも見逃せない。
この「腰振りBITCH」シリーズは共通して、見せたいもののコンセプトがハッキリしている点で他のダンス系作品とは一線を隔す仕上がりとなっている。女優一人の身体のラインと動きを強調する衣装、それを3バージョンしっかり尺をとって見せている。男というよりも、まるで飼っているペットに話しかけているかのような、温かみのある語り口も特筆ものである。軸がぶれない良い作品であるが、抜けるかと問われれば答えに窮する。興奮はできるが、「ここぞ!」という抜き所がハッキリしないのだ。メインディシュ前の前菜として味わうのがよいだろう。
どこかのサンプルで見つけた女子○生の激しいアナルオナニーが忘れられず、ずっとその断片をオカズとして使っていた。その姿がフルで見ることができるこの作品に出会えたことに圧倒的感謝。その娘は二人目で名は、ゆりと言った。アナニーを「嫌いじゃないんだよ」といった風に恥じらいを含んだ表現で控えめに鑑賞者主観に告白しつつ、徐々に指の本数を増やし、拡張器からディルドー、二本差しへ展開していく様は、何度見ても惹き込まれてしまう。この脚本(ほん)只者じゃあない。他の5人も年代・容姿のバラエティに富むが、着衣からはじめて、脱ぎきらずにアナニーの流れは一貫していて良い。ゆりが突出していて良く、それだけでも何度も使える秀作である。
他作品のアナルものでも見かけるアナル使いの女優がちらほら見て取れる。蠢くアナルは確かにいやらしいものだが、劣情を駆り立てるのは、女優の顔であったり表情であったり声であったりスタイルであったり下着であったりする。このシリーズによくあることかもしれないが、抜くとなれば、なにかもう一声欲しくなってしまうのだ。